先日、大阪市内での所用を終えて駆け込んだのは、ここ国立国際美術館。

 

楽しみにしていたクリスチャン・ボルタンスキー「Lifetime」展。

 

名もなき人々のポートレート、

おびただしい数の古着、

たくさんの電球の光。

記憶を記録するための作家のさまざまな試みをたどることができます。

 

 

雑多な日常はすべて忘れて、その世界観にずぶずぶと浸る感覚。

一瞬にして非日常を味わえるので、美術館は大好きな場所です。

 

 

そう言えば、先日娘からこんなことを言われました。

「小さい頃は、しょっちゅう美術展やらアートイベントに連れていかれるのが苦痛だったけれど、今では感謝してる。何かを見て美しい!と思えるのは、そういう体験をたくさんしてきたおかげだと思うから。」

母親のエゴに付き合わされていただけなのに、大きくなって、そんな風に感じてくれたのなら嬉しいな。

 

 

この展覧会の写真も見せたら、ぜひ行きたいとのことでした。

でも、実はずいぶん前に娘はボルタンスキーを体験しているのです。

子どもたちが幼い頃、毎年のように瀬戸内の島々で開催される芸術祭を観に行っていました。

2013年に訪れた豊島(てしま)に、彼の作品「心臓音のアーカイブ」が展示されていたのでした。

今回の会場でも、そのアーカイブの中から選ばれた、ある一人の心臓音が響いていました。

 

娘に、覚えているか聞いたら

「ああ、なんかひたすらレンタサイクル漕いで島の端まで行ったら、音聞くだけやったやつ?」

でしたが・・・(-_-;)

注:これは2月1日に書いたブログです。





何かの記事で読み、観たいと思っていた映画「人生フルーツ」。
家事セラピスト仲間の新年会でも話題に上り、みんなも観たいと思っていた!とのこと。さすが暮らしに関わる活動をする者同士、アンテナも似ているのだなあと感心したのでした。
単館上映だし、上映期間もすぐ終わるだろうから、と日程が合う人と早速観に行きました。

90歳の建築家とその妻の暮らしぶりを追ったドキュメンタリー映画。
戦後の焼け野原にとにかく住居を建設することが至上の問題だった時代。大学を卒業し建築家になる津端修一氏は、日本住宅公団に入社し、多くの団地や集合住宅の設計に関わる。

建築家自身も、設計に関わった愛知県のとあるニュータウンに家を建て、暮らし始める。
広い庭に何本もの果樹を植え、何種類もの野菜を作り、自分たちの手で紡がれる暮らしぶりを追ったもの。
途中、樹木希林さんのナレーションで何度か繰り返される「こつこつ、ゆっくり」。これは建築家の口ぐせだったのでしょうか。

「昔、ある建築家は言った」と前置きして挿入される言葉もいい。
最後に答え合わせのように、それを言った有名建築家の名が明かされるのだが、なるほど、という感じ。

暮らしは突然生まれるものではないし、ひたすら日々の積み重ね。
当たり前のことを淡々と、そして、なるべく自分でやることが大事、という津端氏の言葉には説得力があります。





この映画、ポスターを見ると「ほのぼの老夫婦のスローライフ」がテーマかと勘違いしかねませんが、実は壮絶なレジスタンスの物語だと思います。
津端氏は、画一的な住居の集合体としてではなく、有機的な人の暮らしの集合体としてニュータウンを設計しました。でも、実際には効率という名のもとに随分と変更が加えられ、意図したものとは全く違うものになったようです。
氏はそれをただ甘受するのではなく、個人の力で自分が理想とした暮らしをひたすら実践して行ったのです。あえて、そのニュータウンの中で。

自動化、大量化する社会への、個人の小さく長く続くレジスタンス。

声高な主張ではないが、決して譲らない。人の暮らしのあるべき姿をたゆまず追及する。
でも、一人ではない。家族という単位で粛々と。
修行僧のようなストイックさを感じるわけでもない。そこには季節ごとの人生の果実が確実に実っていて、それが何よりの幸福感を与えてくれます。

最後に氏が無償で引き受けるクリニックの設計の仕事は、そのレジスタンスが報われた瞬間だ。
長い時が流れ、いくつもの過ちを冒してきて、時代がようやく津端氏の主張の正しさに気づいた瞬間。

1時間40分ほどの映画はあっという間に終わっていました。
決して詰め込んだ感じではなく、ゆったりとした展開で観る者に優しいのに、含まれているものはタップリと肉厚で濃密。
まるで果汁と果肉たっぷりのフルーツのようでした。

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