昨日、「本の片づけ講座」を開催いたしました。
この講座、実は何度も講座に来てくださっている方からのリクエストによる企画です。
本も自分自身も大切にするためにはどうしたらよいかを考える貴重な機会となりました。
Hさま、ありがとうございました!





そのなかで、本をうまく手放すためのヒントもお伝えしました。
実は、私自身、絵本に関してはどうしても捨てられませんでした。
「これは捨てられるのでは?」と何度も検討するのですが、一冊も処分できない始末・・・。
「いざとなれば、買いなおせばいい」と考えることで、ようやく手放す気持ちになれました。

詳しくは一つ前の記事に書いているのですが(→こちら)、この記事をSNSでシェアしたところ、何人かの方からコメントをいただきました。絵本のみならず、片づけ全般の参考になると思うので、ご紹介します。

・同じく手放せないと思っていたけれど、東日本大震災の時にほとんどを東北に送りました。孫が出来たらまた少しづつ揃えるのを今から楽しみにしています。

・たくさん持っていましたが、お気に入りを数冊手元に残して、引っ越しを期に近くの児童館に寄付しました。年を重ねると重いモノは家に置けませんね。

・年配の方になると、蔵書は重くて持ちたくないモノになるようです。家族で友人で手分けできるといいですね。

・大人になってから、好きな絵本を買い直しました。大人になっても大切なものを再確認したくて。

また、図書館に寄贈するのも一つの手ですよね、と講座内でお伝えしたことを、参加者のおひとりがSNSでシェアしてくださっていて、それを読んだ方が「情報、ありがとうございます!」とコメントしていらっしゃいました。

大切な本も思い切って手放せば、新しいモノが入ってくる余裕もできますし、本当に必要な本はきっとまた手元にやって来るのでしょうね。

長年、自分の寿命は88歳だと思って生きてきました。
根拠は、祖母がどちらも88歳で亡くなったからです。二人とも健康で大病などせず、ほぼ自然死なんじゃないかと思える亡くなり方だったので、自分もこのまま健康で過ごし、そのくらいの歳になったら生涯を閉じるのが自然で幸せだと思っていたのかもしれません。

ところが、昨年末にこんな本に出会いました。
100年時代の人生戦略




この本の序文によると、国連の推計では2050年までに日本の100歳以上人口は100万人を突破する見込みだそうです。そして「いまこの文章を読んでいる50歳未満の日本人は100年以上生きる時代、すなわち100年ライフを過ごすつもりでいたほうがいい。」とのこと。

単純な私は寿命が12年延びた!と思ったわけです(笑)。
寿命が88歳だと勝手に決めていたので、44歳の時に「人生折り返しだな〜」なんて考えていたのですが、寿命が100歳だったら先月48歳になった私はまだ半分も生きていないということになります。

そんなわけで、なんだかワクワクしながら新しい年を迎えました。寿命88歳と思っていた頃も歳を重ねることを楽しんでいましたが、100歳と考えるともっと楽しめるように思います。

同じ家事セラピスト仲間のNさんから私にピッタリなタイトルの本を貸してもらいました。その名も

人生は見切り発車でうまくいく

思い返せば、私の人生、常に見切り発車でなんとか凌いできた気がします。。。(笑)

内容は・・・実はまだ読んでいないのですが、このタイトルと言い、タイトル横の「もう悩まない!完璧は目指さない!」というコピーと言い、まるで私の生き方を「それで良いんだよ」と後押ししてくれているかのようで、激しく共感!!

実はこれ、私が講座の中で大切にしていることでもあります。例えば、「片づけ」の講座。完璧に整った部屋を目指して悩むのではなく、その人に出来ること、無理しないで続けられる方法を探ります。そうやって、少しでもいいから自分の手や身体を動かしてやっていけば、暮らしは徐々に整っていきます。

ところで、この本をテーブルの上に置いておいたら、帰宅した娘が見つけて、「うわ、この本、私のことやわ〜!」
やはり、血は争えません(-_-;)




一昨年の夏に出版された家事塾主宰・辰巳渚の著書「人生十二相」。昨日久しぶりに読み返してみました。

これは、人生を長い一本の道として捉えるのではなく、人は12の小さな人生を生きつないでいく、という見方をした本です。その時々(本の中では「相」または「フェーズ」という言葉が使われています)で必要なもの、捨てるべきものは違うし、そのおおまかな見取り図を持つことで、人生はもっと軽やかに生きていけるのでは、と言うとてもユニークな提案です。


私自身は先月46歳になったところで、この本で言うと、第7フェーズの「第一の繁忙期」というところにいます。日々忙しく、でもある程度、自分なりのリズムを持ってまわしていけている。それが有難くもあり、ルーティンからくる倦怠感と背中合わせでもあり、のある種贅沢な悩みをもつフェーズです。

そんな私ですから、第10フェーズ「第二の自主期」(親しい人の死を重ね、ひとりになる)のことにはまだまだ考えが及ばないのですが、私の両親は徐々にこのフェーズに移ろうとしている年代です。


そんな母から今朝電話がありました。「お父さんにね、お父さんの5歳くらい年上のお友達から手紙が届いたのよ。」その方、最近体調が悪くて、自分はいつ死んでもおかしくない、と思っていらっしゃるそうです。それで、うちの父に最後のお願いを聞いてほしい、と手紙を書かれたのでした。それは、もし自分が死んだら火葬のとき、家族だけでなく、友人である父にもお骨を拾ってほしい、という内容でした。


ご友人はさらにこんな風にも書かれていました。これは、自分の希望だけれど、自分が死んだ後のことは、やはり家族の意向を第一に考えるべきなので、もし、実際にその時が来て、家族があなたには骨を拾ってほしくない、と言ったら、その時は申し訳ないけれど、この手紙のことは忘れて欲しい、と。


自分自身のこれまでの人生と真摯に向き合い、冷静に行動される立派な方なのだなあ、ととても感銘を受けました。それとともに、父がこの手紙を読んだ時の気持ちを考えると、涙がとまらなくなってしまいました。


1

Profile

Search

Recommend

Mobile

qrcode

Link

Archive

PR

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM