一昨年の夏に出版された家事塾主宰・辰巳渚の著書「人生十二相」。昨日久しぶりに読み返してみました。

これは、人生を長い一本の道として捉えるのではなく、人は12の小さな人生を生きつないでいく、という見方をした本です。その時々(本の中では「相」または「フェーズ」という言葉が使われています)で必要なもの、捨てるべきものは違うし、そのおおまかな見取り図を持つことで、人生はもっと軽やかに生きていけるのでは、と言うとてもユニークな提案です。


私自身は先月46歳になったところで、この本で言うと、第7フェーズの「第一の繁忙期」というところにいます。日々忙しく、でもある程度、自分なりのリズムを持ってまわしていけている。それが有難くもあり、ルーティンからくる倦怠感と背中合わせでもあり、のある種贅沢な悩みをもつフェーズです。

そんな私ですから、第10フェーズ「第二の自主期」(親しい人の死を重ね、ひとりになる)のことにはまだまだ考えが及ばないのですが、私の両親は徐々にこのフェーズに移ろうとしている年代です。


そんな母から今朝電話がありました。「お父さんにね、お父さんの5歳くらい年上のお友達から手紙が届いたのよ。」その方、最近体調が悪くて、自分はいつ死んでもおかしくない、と思っていらっしゃるそうです。それで、うちの父に最後のお願いを聞いてほしい、と手紙を書かれたのでした。それは、もし自分が死んだら火葬のとき、家族だけでなく、友人である父にもお骨を拾ってほしい、という内容でした。


ご友人はさらにこんな風にも書かれていました。これは、自分の希望だけれど、自分が死んだ後のことは、やはり家族の意向を第一に考えるべきなので、もし、実際にその時が来て、家族があなたには骨を拾ってほしくない、と言ったら、その時は申し訳ないけれど、この手紙のことは忘れて欲しい、と。


自分自身のこれまでの人生と真摯に向き合い、冷静に行動される立派な方なのだなあ、ととても感銘を受けました。それとともに、父がこの手紙を読んだ時の気持ちを考えると、涙がとまらなくなってしまいました。


  • -
  • 09:58
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

Comment