長年、自分の寿命は88歳だと思って生きてきました。
根拠は、祖母がどちらも88歳で亡くなったからです。二人とも健康で大病などせず、ほぼ自然死なんじゃないかと思える亡くなり方だったので、自分もこのまま健康で過ごし、そのくらいの歳になったら生涯を閉じるのが自然で幸せだと思っていたのかもしれません。

ところが、昨年末にこんな本に出会いました。
100年時代の人生戦略




この本の序文によると、国連の推計では2050年までに日本の100歳以上人口は100万人を突破する見込みだそうです。そして「いまこの文章を読んでいる50歳未満の日本人は100年以上生きる時代、すなわち100年ライフを過ごすつもりでいたほうがいい。」とのこと。

単純な私は寿命が12年延びた!と思ったわけです(笑)。
寿命が88歳だと勝手に決めていたので、44歳の時に「人生折り返しだな〜」なんて考えていたのですが、寿命が100歳だったら先月48歳になった私はまだ半分も生きていないということになります。

そんなわけで、なんだかワクワクしながら新しい年を迎えました。寿命88歳と思っていた頃も歳を重ねることを楽しんでいましたが、100歳と考えるともっと楽しめるように思います。

今年の年末はお天気も良く、寒さも厳しくなく、大掃除にはありがたい日が続いていた大阪。

大掃除、家族みんな集まって一日かけてやるのが好きな私ですが、今年は息子が受験生だったり、夫が単身赴任中だったりで年末にみんなが揃う日が確定していなかったため、12月に入ったころから少しづつ気になるところを付箋に書いておいて、手帳の中に挟んでいました。

で、子どもたちに見せながら、「どれなら出来そう?」と相談。
各自が出来るタイミングで出来ることをやってくれました。

終わったものから付箋をピッと外して捨てる時の爽快感ったらありません。
昨日は最後の付箋「障子を張り替える」を外すが出来ました。
これは流石に一人ではできないので赴任先から戻った夫と一緒に。

今年はもう一つ、大掃除の予定を立てていました。
父は80歳、母も70代後半の両親、流石にもう大掃除はしんどいだろうと思い、12月に入ってすぐ、「大掃除を手伝いに行くから、都合の良い週末を教えて」と連絡しました。

そしたら、なんと・・・「まだまだ大丈夫なので、結構です」と断られてしまいました(笑)。
拍子抜けしましたが、元気でいてくれるのは有り難いです。

今日は朝から料理を何品か仕込んだのを持って、これから実家へ。
年末年始は毎年恒例、親戚が集まって飲んで食べてが続きます。

今年一年ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



昨日は「関西文化の日」でした。
関西一円の美術館・博物館などが入場無料になったり、さまざまなイベントが催されます。
万博記念公園も入場無料。紅葉が見ごろを迎えていました☆



私はふだんからよく美術展などを観に行く方ですが、折角の無料なので、昨日も行って来ました。特に好きな「大阪日本民芸館」へ。



「秋季特別展 河井寛次郎」が開催中でした。

河井寛次郎は大正末期に柳宗悦、濱田庄司らとともに「民藝」という言葉を創り、広めた陶芸家。京都にその記念館もあり、ご存知の方も多いと思います。

我が家の器たちは、旅先などで出会って自然と集まったものがほとんどですが、この「民藝」と言われるくくりに属するものが多いのです。

元々、名もない職人さんによって作られた日常の生活道具を「民藝」と呼んだのですから、色も形も素朴ですが、そこにはいわゆる「用の美」というものが共通してあって、日々使っていて飽きない魅力があります。

民芸館に展示されている作品も、芸術然とした気取ったものではなく、
「この器に、お芋の煮っころがしを盛りつけたいな〜」などと思わず言いたくなります。

陶芸作品と一緒に寛次郎氏が遺した言葉がところどころに飾られていたのですが、
そのなかに、こんな言葉がありました。

物買ってくる、
自分買ってくる


「モノとは何か?」・・・これ、考えれば考えるほど哲学的な問いなのですが・・・
自分の家にある「モノ」に限定して言うと、「モノ」というのは自分が選択したからこそ、そこにあるのだと言えます。
誰かが勝手に置いていくわけはなく、他ならぬ「わたし」が持ち込んだり、買ってきたり、要らないのに捨てずにいたり(笑)するから、そこにあるのですよね。

物買ってくる、自分買ってくる

という言葉が、そのことをあらためて思い出させてくれました。

民藝が体現する「用の美」。
使っているモノがすべて美しい(=自分のお気に入り)という暮らしは、まさに理想☆

モノは自分・・・そんな風に考えながら家の中をあらためて見直してみたいと思います。



ふと思い立ったことをメモするようにしています。
その時はただの思いつきに過ぎなかったことが、後から見返して大きな気づきにつながったり、発想を広げることになったりするので面白いのです。

少し前のメモに、こんなことを書いていました。

今の自分に基本的には満足しているのだけれど、
ふと思ったのが「野望が足りない?」ってこと。。。
まあ、別に無くてもいいんだけれど、
あれば、ちょっと楽しいかな?



最初、「野菜が足りない?」に見間違えたのですが(笑)、
いえいえ、「野望」でした。

例えば「10年後、こんな私になっていたい」とか「今の仕事をゆくゆくは、こんな風に広げたい」とか、目標や夢については思いを巡らせる方も多いと思います。

「野望」は、それとはちょっと違います。
とうてい叶いそうにもないこととか、人に言うのもはばかられるような欲望とか、
「常識」や「実現性」や「建前」を、取り払ったもの。

「わたしの野望」について考えると、意外な事実が浮き彫りになるのでは?と思います。
たとえば、「潜在的な願望」とか、「自分の本質」とか。
自分のことなのに、自分でも気づいていなかった・・・と言うようなことです。




昨日は家事セラピスト仲間のお宅におよばれ。
素敵なダイニングでランチをいただきながら語り合う至福の時間に、
ふと、この「野望」のことを持ち出してみました。

私の突拍子もないフリに、みんな即座に関心を示してくれて、あーでもない、こーでもないと、盛り上がること!
最後には語り足りないね〜と言いつつ解散したのでした。

「わたしの野望」・・・秋の夜長にじっくり掘り下げてみるのも一興ではないでしょうか。

今日は娘の17回目の誕生日。
朝、娘が起きてくる前に、ささやかなプレゼントを朝食のテーブルに。





この一年間の娘のスナップショットを集めて作ったフォトブック。

すぐに気づいた娘。
「ママ、JK並みのサプライズやーん♡」と喜んでくれました。
(注:JKとは女子高生を意味する女子高生語です、笑)

今回、フォトブックを作ろうと思い立って分かったことが、
娘の写真が意外に少ない。。。ということでした。
いつも家族一緒にお出かけしていた時代と違い、
高校生にもなると友人と過ごす時間の方が圧倒的に増え、
その時に撮っている写真は私の手元にありません。

そこで、少し前から、さりげなく娘に友達と撮った写真ちょうだい!と伝えていました。
仲良しさんとの楽しそうなお出かけの写真や、部活仲間との写真などを
ピックアップして、今年一年を振り返るようなアルバムにしました。

写真整理の講座でもお伝えしていますが、
写真は撮って終わりではなく、後から見て楽しむもの。
いつでも手に取って眺められるフォトブックは、そういう意味でオススメです。

ただし・・・
フォトブックのサービスも本当にたくさんあるんですよね。
どれを選べばいいの???とお悩みの方も多いと思います。

講座では自分に合うサービスを選ぶポイントなどもお伝えしています☆

ちなみに私が選んだのは・・・
作成の操作がシンプルで、リーズナブルなもの。
各ページに写真の説明文を入れることもできるのですが、
敢えて、写真だけを配置して作成終了。
ここで欲張ると時間がかかってしまい、途中で投げ出したりしかねないからです。

写真を選んだ時点で、娘へのメッセージは伝わったものと割り切って
選別に心を込めました(笑)。

思いのほか喜んでくれたので、来年もやろうかと思っています☆


11月15日(金)開催☆今日から始めたくなる!写真の整理講座
おかげさまで満席となりましたが、
会場に余裕があるので、増席も可能です。
ご興味のある方は是非、ご連絡くださいね☆
講座の詳細はコチラ

ありがたいことに、他府県での開催もリクエストをいただいています。
出来る限りお応えしていきたいと思っておりますので、
お問い合わせは下記メールアドレスまでお気軽にどうぞ☆
miyatamiho★kajitherapist.com
メールの際は、★印を@にしてくださいね。