先日、会社員時代からの友人たちと久しぶりに集まった時に、「おしゃれは誰のためにするか?」という話題になりました。

ある人は「絶対に女友達の視線を意識するから。同性から格好いいとか素敵と思われたい気持ちがおしゃれへのモチベーションを上げてくれる」と言い、別の人は「断然、自分のため」と答えました。
一方で、「異性を意識したおしゃれ」をする人もいるよね、という話も出ました。よく雑誌のタイトルに泳いでいる「モテ顔」とか「モテ服」と言ったワードは、やはり男性に好感をもってもらうことにおしゃれの第一義がある、という価値観ですよね。そこに徹するのも、ひとつのポリシーとしてアリだと思います。

どういう価値観にせよ、自分なりの軸、というものがあれば、そんなに苦しくはないと思います。でも、もし、それが見つけられなくなったり、ブレが出たりしたら・・・。

クローゼットに洋服はたくさん並んでいるのに、着るものが無い・・・と毎朝悩んでしまうのは、そのせいかもしれません。


最近、読んだ光野桃氏の「おしゃれの幸福論」という本にも、自分に似合う服が分からなくなって苦しくなる女性たちのことが書かれていました。

40代〜50代にさしかかると、顔つきや体型の変化から似合うファッションが分からなくなったり、社会的な立場や人からの評価を気にするあまり、本当に似合うファッションや自分の気持ちが高揚するファッションを身につけなくなっている、という事例などが書かれていて、ナルホド〜と思うことばかりでした。


私もまさしくその年代。若い頃のようなファッションはもう身につけることは出来ない、というのもよく理解していますが、その一方で、この先は、社会的な体裁やトレンドとかをいっさい気にせず、自由な着こなしを楽しみたい、という境地でもあります。

そんな今の私の気分にピッタリな講座がコチラ↓

「クローゼットの片づけ」講座

講師は家事塾・大阪のおしゃれ番長(←私が勝手に命名。でも、反論のある人はいないはず!)遠藤律子さんです。

クローゼットを片づけて、毎日のおしゃれが楽しくなる春を迎えませんか?



何事も三日坊主に終わりがちな私ですが、
ここ何年かずっとゆるやかに続いている習慣がいくつかあります。



例えば、朝起きてまず「白湯」を飲むこと。
飲んだ時に甘く感じられたら、体調が良いしるし、とどこかで読んで以来、続いています。

昨年、ラグビーの五郎丸選手がキック前にやる独特のポーズが流行しましたが、そのおかげで「ルーティン」という言葉がクローズアップされた気がします。スポーツ選手などが、どんなに緊張する場面でもいつもと同じ動作をすることで、精神的な安定を保ち、好成績を出す「ルーティン」。イチロー選手がバッターボックスに入る時の一連の動作も有名ですよね。

ルーティンと言うと「ルーティンワーク=創造性のない、決まりきった仕事」「毎日繰り返しやらねばならない雑事」などのイメージがあり、これまではどちらかと言うとネガティブな言葉として使われて来た印象があるのですが、今や、一流スポーツ選手を支える成功の秘訣、というポジティブなイメージに☆

私自身も歳を重ね、若い頃には気づかなかった「ルーティン」の大切さを痛感するようになりました。日々の暮らしの質も「ルーティン」によってこそ、着実に担保されているのだと思います。

さて、私の朝のルーティンは「白湯」以外にもう一つあって、クイックルワイパーを手にリビングと玄関までのフローリング部分をスイーっと一周します。
夜寝ている間に降り積もったホコリを家族が起きて来る前にひと拭きすることで、もう一度舞い上がらせずに済み、あとの掃除もぐっとラクになります。(これをやっておくと、掃除機も二日に一度で十分!)狭い我が家、一周してもほんの数分のこと。毎朝何となくやっているうちに、身体が勝手に動くように。
自分のなかでは、これは家事とさえ呼べないほど当たり前のこととして、朝の一連の流れのなかに組み込まれています。

この後は、子どもたちのお弁当と家族全員の朝食を作って、送りだし・・・と目まぐるしい時間に突入していくのですが、だからこそ、静かな一人時間に行うこの「ルーティン」をこれからも大切にしていきたいと思っています。



一般的に片づけが滞りだすのは70歳くらいからだ、と聞いたことがあります。
私の両親は70代後半。少し前に実家はリフォームをしたので、その際にかなりモノを減らし、今のところ快適に暮らしているようですが、子どもが気を付けてサポートしてあげるべき年齢になったのだな、と思っています。




年末年始は実家へ帰省された方も多いはず。
そんな時、親の暮らしぶりで気になったことはありませんか?

例えば、物が床に直置きにされている。
新しいものがあるのに、古いテレビや電化製品を処分していない。
押入れや納戸にぎっしりとモノが詰まっている。
前回の帰省の時に片づけてあげたのに、元の木阿弥状態・・・。
あるいは、自分が実家にいた頃の子ども部屋にまだ自分の荷物がたくさんある、と言う方もいるのでは?

40代の友人と話していると、よく話題にのぼるのが実家の片づけ。

親が暮らしにくそうにしているのは子としても気になります。
でも、今は言っても聞く耳を持ってくれそうにないから、亡くなってからまとめて処分するしかないかな・・・と半ばあきらめに近いことを言う人も。

けれど、なんとなく収まってしまっているモノって、いざ処分するとなると、想像しているよりずっと量が多いんです。しかも、大切なものも不用品もいっしょくたになっているとしたら・・・残された者は故人を悼む暇もなく、片づけに追われることになりかねません。
もっと早くから考えておけば良かった、と後悔しないための講座を開催します。
ワークショップ形式で、「今」とりかかるべき事を一緒に考えませんか?

40代から考える、実家の片づけ
親の家の片づけ講座
日時:2016年1月15日(金)10:00〜11:30
場所:ラコルタ(吹田市立市民公益活動センター) ※阪急千里線「南千里」駅すぐ
   〒565-0862吹田市津雲台1−2−1 千里ニュータウンプラザ6階
講師:家事塾認定1級家事セラピスト 宮田 美穂
受講料:1,500円
定員:10名     
持ち物:筆記用具
お申込:
FBのイベントページで「参加予定」をクリック
          
miyatamiho@kajitherapist.comまでメールにて「講座名」「お名前」「ご連絡先」をお知らせください。






クリスマスの朝、いつもは起こしてもなかなか起きない子が、この日ばかりは飛び起きて、ツリーに向かってダッシュ。サンタが届けてくれたプレゼントを開ける、その表情を見るのは何とも言えぬ至福の時ですね。

ところで、このサンタさんからのプレゼント、子どもたちはいつ頃まで信じてくれるのでしょうか?よそのお宅ではどのように準備しているのだろう?うちの子がまだ幼稚園児だった頃、疑問に思った私の日記が残っていたので抜粋。

以下、2005年の日記より。
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幼稚園ママたちにプレゼントはどうしているかインタビューした結果、バリエーションに富んだお答えが。

1、やはり、オーソドックスに事前に欲しいモノをリサーチして、当日サンタさんが持ってきてくれる、ということにしている人。このリサーチの仕方にもいろいろあって、ぶらさげた靴下に欲しいものを紙に書いて入れさせておく方法。オモチャ屋さんへ事前に行って、一緒に選んで、コレをサンタさんにお願いしようね、と促すかなり現実的な方法。普段の会話からそれとなくリサーチする方法。

2、絵本のみと決めている人(この人はクリスマスだけでなく、お誕生日のプレゼントも絵本だと言ってた)。

3、おもちゃはやめて実用品と決めている人。例えば、今年なら娘は入学をひかえているので、文房具や袋ものなどいずれそろえなくてはいけないものをプレゼントにしてしまうやり方。

4、こどもがおねだりしているものを敢えて外す、という人。これにはいつもサンタさんがドンピシャリのものを持って来ない、という状況を作って逆にその存在にリアリティを出そうという狙いがあるのだとか。ナルホド考えますねえ。

12月に入ると、オモチャ売り場はこどもよりもむしろ大人でごった返していた。そう言えば、混雑を避けて11月中に用意した、というママもいた。

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うちは娘が10月生まれ、息子は12月生まれなので、誕生日プレゼントもオモチャだと、一時期にオモチャが重なるし、ありがたみがないなあ、と当時思っていました。それは、とどのつまり、オモチャの与え方、金銭教育、といった問題に行き着くわけで、そのあたりの指針がまだ自分の中で確立していないことに悩んでいたんだと思います。

それから何年かして・・・娘が10歳になった年に、私はクリスマスプレゼントをやめました。8つ、9つというように「つ」を付けて数えられる歳までしかサンタさんは来ない、ということにしたのです。娘はその信憑性を学校の友達と話し合って来たらしく、「ママ、信じている限り、何歳になってもサンタさんは来る、って友達が言ってたよ!」と満足げに切り返してきたりもしたのですが、「あら、ママは信じてるけど、サンタさん来たことないよ。」とやり返しておりました(笑)。
いずれにせよ、彼女は特に欲しいものも思い付かないらしく、親としても無理やり何かをプレゼントとして用意することに窮屈さを感じていたので、そろそろ潮時と思っていたのです。

で、当日の朝。2つ年下の弟には例年通りサンタからプレゼントが届いていましたが、娘にはやはり無し。でも、あらかじめ「サンタさんから来ていなかったら、パパとママが代わりに買ってあげるね」と言っていたので特にショックも受けなかったようです。もちろん、2年後には弟にもサンタは来なくなりました。

お家によっていろんな考え方もあるでしょうが、我が家はあの時スパッと打ち切りにしたことで、却って子どもたちのなかにサンタさんの思い出が鮮明に残ったようです。

そのせいかどうかは知りませんが・・・

昨日、高1娘が帰宅するなり「サンタってママやったん?私、今まで完全に信じてて、学校でみんなに馬鹿にされた〜!」と言うので、こっちの方がビックリしてしまいました(笑)。

街はイルミネーションで溢れ、もうすぐクリスマス!と弾むような気持の一方で、それが過ぎたらすぐに年末&お正月!大掃除しないと、と急に気持ちが焦る季節でもあります。(え、私だけ?)





先日、娘と歩いていた時のこと。持っていた傘を金属のポール(歩道などによくある逆U字型のやつです)に強くぶつけてしまい、カーンという金属音が鳴り響きました。すると娘、「痛っ!」と叫んだのです。で、すぐに続けて「いや、私は別に痛くないんだけど(笑)、なんでモノをぶつけた時、つい「痛い」って言ってしまうんだろう」と、不思議そうに言いました。

「それって日本人独特の感覚じゃない?」と私。

日本人のDNAの中に「モノには魂が宿っている」という概念が脈々と受け継がれているのではないかしら?
だから、モノを擬人化したり、物にも気持ちがあると捉えたりするのではないか、という気がするのよねえ、と説明すると(いえ、もちろん、他の国でもそういう感覚を持つ国民性ってあるのかもしれませんが・・・)

娘「なるほどねえ。人形を捨てられない、というのもその一種かあ。」





大掃除と言えば、これを機にモノを捨てなくちゃ!と思う方も多いと思います。
先日、京都のリフォーム会社でさせていただいた片づけ講座でも、皆さん、そうでした。「だけど、捨てられない!」とも、一様におっしゃいます。親戚から譲り受けてしつけさえ取っていない着物、たくさん集まってしまった子どもの作品、奥さんのウエディングドレスや自分のタキシード、という方も!

捨てる時には、一つ一つのモノと向き合う必要があるので、こういったモノとはなかなかお別れ出来ないのが普通ですよね。
たくさんの思い出、しがらみ、家族の歴史などなど、簡単に捨てられない理由が何重にもなってまとわりついているモノから捨てようとすると、気持ちの整理に時間がかかり、なかなか捗りません。

そういうモノはいったん棚上げするのもアリだと思います。

でも、よーく見回してみて。家の中には、大した思い入れもないはずなのに、なぜか入って来たっきり、使ってもいないのに居座っているものが他にたくさんあるのでは?まずは、そういうものから手を付けませんか?

そう言えば、講座の中で、「しゃもじ」が家に8つあるという方がいらっしゃいました。「それ、全部必要ですか?使い分けているんですか?」とお聞きしたら、笑いながら首を横に振ったその女性。帰り際に「まず、しゃもじから捨てます!」と宣言して行かれました。そういうお別れなら、きっとすぐに取り組めますね☆


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