クリスマスの朝、いつもは起こしてもなかなか起きない子が、この日ばかりは飛び起きて、ツリーに向かってダッシュ。サンタが届けてくれたプレゼントを開ける、その表情を見るのは何とも言えぬ至福の時ですね。

ところで、このサンタさんからのプレゼント、子どもたちはいつ頃まで信じてくれるのでしょうか?よそのお宅ではどのように準備しているのだろう?うちの子がまだ幼稚園児だった頃、疑問に思った私の日記が残っていたので抜粋。

以下、2005年の日記より。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
幼稚園ママたちにプレゼントはどうしているかインタビューした結果、バリエーションに富んだお答えが。

1、やはり、オーソドックスに事前に欲しいモノをリサーチして、当日サンタさんが持ってきてくれる、ということにしている人。このリサーチの仕方にもいろいろあって、ぶらさげた靴下に欲しいものを紙に書いて入れさせておく方法。オモチャ屋さんへ事前に行って、一緒に選んで、コレをサンタさんにお願いしようね、と促すかなり現実的な方法。普段の会話からそれとなくリサーチする方法。

2、絵本のみと決めている人(この人はクリスマスだけでなく、お誕生日のプレゼントも絵本だと言ってた)。

3、おもちゃはやめて実用品と決めている人。例えば、今年なら娘は入学をひかえているので、文房具や袋ものなどいずれそろえなくてはいけないものをプレゼントにしてしまうやり方。

4、こどもがおねだりしているものを敢えて外す、という人。これにはいつもサンタさんがドンピシャリのものを持って来ない、という状況を作って逆にその存在にリアリティを出そうという狙いがあるのだとか。ナルホド考えますねえ。

12月に入ると、オモチャ売り場はこどもよりもむしろ大人でごった返していた。そう言えば、混雑を避けて11月中に用意した、というママもいた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

うちは娘が10月生まれ、息子は12月生まれなので、誕生日プレゼントもオモチャだと、一時期にオモチャが重なるし、ありがたみがないなあ、と当時思っていました。それは、とどのつまり、オモチャの与え方、金銭教育、といった問題に行き着くわけで、そのあたりの指針がまだ自分の中で確立していないことに悩んでいたんだと思います。

それから何年かして・・・娘が10歳になった年に、私はクリスマスプレゼントをやめました。8つ、9つというように「つ」を付けて数えられる歳までしかサンタさんは来ない、ということにしたのです。娘はその信憑性を学校の友達と話し合って来たらしく、「ママ、信じている限り、何歳になってもサンタさんは来る、って友達が言ってたよ!」と満足げに切り返してきたりもしたのですが、「あら、ママは信じてるけど、サンタさん来たことないよ。」とやり返しておりました(笑)。
いずれにせよ、彼女は特に欲しいものも思い付かないらしく、親としても無理やり何かをプレゼントとして用意することに窮屈さを感じていたので、そろそろ潮時と思っていたのです。

で、当日の朝。2つ年下の弟には例年通りサンタからプレゼントが届いていましたが、娘にはやはり無し。でも、あらかじめ「サンタさんから来ていなかったら、パパとママが代わりに買ってあげるね」と言っていたので特にショックも受けなかったようです。もちろん、2年後には弟にもサンタは来なくなりました。

お家によっていろんな考え方もあるでしょうが、我が家はあの時スパッと打ち切りにしたことで、却って子どもたちのなかにサンタさんの思い出が鮮明に残ったようです。

そのせいかどうかは知りませんが・・・

昨日、高1娘が帰宅するなり「サンタってママやったん?私、今まで完全に信じてて、学校でみんなに馬鹿にされた〜!」と言うので、こっちの方がビックリしてしまいました(笑)。

街はイルミネーションで溢れ、もうすぐクリスマス!と弾むような気持の一方で、それが過ぎたらすぐに年末&お正月!大掃除しないと、と急に気持ちが焦る季節でもあります。(え、私だけ?)





先日、娘と歩いていた時のこと。持っていた傘を金属のポール(歩道などによくある逆U字型のやつです)に強くぶつけてしまい、カーンという金属音が鳴り響きました。すると娘、「痛っ!」と叫んだのです。で、すぐに続けて「いや、私は別に痛くないんだけど(笑)、なんでモノをぶつけた時、つい「痛い」って言ってしまうんだろう」と、不思議そうに言いました。

「それって日本人独特の感覚じゃない?」と私。

日本人のDNAの中に「モノには魂が宿っている」という概念が脈々と受け継がれているのではないかしら?
だから、モノを擬人化したり、物にも気持ちがあると捉えたりするのではないか、という気がするのよねえ、と説明すると(いえ、もちろん、他の国でもそういう感覚を持つ国民性ってあるのかもしれませんが・・・)

娘「なるほどねえ。人形を捨てられない、というのもその一種かあ。」





大掃除と言えば、これを機にモノを捨てなくちゃ!と思う方も多いと思います。
先日、京都のリフォーム会社でさせていただいた片づけ講座でも、皆さん、そうでした。「だけど、捨てられない!」とも、一様におっしゃいます。親戚から譲り受けてしつけさえ取っていない着物、たくさん集まってしまった子どもの作品、奥さんのウエディングドレスや自分のタキシード、という方も!

捨てる時には、一つ一つのモノと向き合う必要があるので、こういったモノとはなかなかお別れ出来ないのが普通ですよね。
たくさんの思い出、しがらみ、家族の歴史などなど、簡単に捨てられない理由が何重にもなってまとわりついているモノから捨てようとすると、気持ちの整理に時間がかかり、なかなか捗りません。

そういうモノはいったん棚上げするのもアリだと思います。

でも、よーく見回してみて。家の中には、大した思い入れもないはずなのに、なぜか入って来たっきり、使ってもいないのに居座っているものが他にたくさんあるのでは?まずは、そういうものから手を付けませんか?

そう言えば、講座の中で、「しゃもじ」が家に8つあるという方がいらっしゃいました。「それ、全部必要ですか?使い分けているんですか?」とお聞きしたら、笑いながら首を横に振ったその女性。帰り際に「まず、しゃもじから捨てます!」と宣言して行かれました。そういうお別れなら、きっとすぐに取り組めますね☆

この春、平成の大改修を終え、「白鷺城」の名前にふさわしい姿がお披露目された世界遺産「姫路城」。見に行かれた方も多いことと思います。先日、我が家もようやく見に行くことができました。
駐車場からお城に向かう途中、水面に映りこむ姫路城発見。



お城の内部を見学したり、天守閣に上って姫路市内を見渡せる眺望を楽しむのももちろん良いのですが、見る方向によって、いろんな表情を見せてくれるので、是非とも近辺の散策をオススメします☆

こんな姿や



こんな眺めも素敵ですが、




私が一番好きなのは、こういう↓アングル(笑)。寺社などに行っても、ついつい屋根の裏側の造作に萌える私です。




で、近隣のスポットで、特にオススメしたいのがコチラ!「姫路市立動物園」。
姫路城のすぐ東隣にあり、なんと、入園料が大人200円、こども30円!我が家にはもうこども料金の人はいませんが(笑)、懐かしい雰囲気に誘われて入ってみることに。



園内にはミニ遊園地も。



入園料の安さから、小さい子向けの簡単な施設かな…と思いきや、大定番の象さんから





ユニークな姿のアルマジロまで。約110種類の動物たちがいるそうです。





シロクマプールだってあります。子どもだけでなく、大人も十分に楽しめるスポットでした。




ここの最大の魅力は、何と言っても、動物たちの向こうに姫路城が見えるこのシチュエーション!ラクダと一緒に写る姫路城、と言うのもなかなかオツではありませんか?





童心に帰れるだけでなく、姫路城のレアな撮影スポットとして、観光の際には是非、寄ってみてくださいね☆

私の実家(京都です)では、年越し蕎麦と言えばいつも「にしん蕎麦」だったので、それが普通だとばかり思っていたのですが、他の地域では一般的ではないということを最近知りました。

京都のにしん蕎麦で有名なのは、南座そばの「松葉」というお店ですが、明治時代に、このお店の二代目が発案したのが始まりだとか。今ではどこのお蕎麦屋さんのメニューにも載っていますし、大阪のお蕎麦屋さんにもあります。

先日、京都での用事を済ませ、お昼はお蕎麦屋さんに入りました。にしん蕎麦を注文したのですが、お店の人が厨房にオーダーを通す時に「しままつ」と言ったのです。「ん?しままつ?」と疑問に思った私の代わりに別の常連らしきお客さんが聞いてくれました。「なんで、しままつって言うの?」
するとベテランらしきその女性、「諸説あるらしいけど、にしんを沈めて上に蕎麦を掛けるやろ?あれが縞模様みたいに見えるってことと、にしんを松に見立てているからよ。」

なるほど〜。「しままつ」は「縞松」なのね。
長年、京都に住んで、にしん蕎麦を食べてきましたが、初耳でした。

そのベテランの女性、こんな風に話を続けます。
「鴨なんばんとか、鶏なんばんと呼ぶのは、昔はネギと言えば大阪の難波産やったからやで。」

そ、そうだったのねー(驚)。
これまた知らずに今まで食していた私です。





そうこうするうちに運ばれてきたにしん蕎麦。大きな身搔きにしんが蕎麦の下に沈んでいます。甘辛く炊いてあって、とっても柔らかい。一方、おだしは薄味で優しい京風味。絶妙な取り合わせです。京都に来たら是非お試しを☆





月曜の午前、家族がみんな出払って、家事も一区切りついた頃、決まって我が家の電話が鳴ります。出る前から相手は分かっています。母です。

70歳を過ぎて、私の母は英会話を習い始めました。
始めると聞いたときは「ふうーーん」と、他人事に思っていた私ですが・・・。
毎週のようにかかってくる電話に付き合わされることに(苦笑)。

授業のはじめに、先週あったことを簡単に英語で話す、というミッションがあるらしいのですが、そのための原稿を添削してくれ、というのです。
これが、すこぶる大変!






まず、書いた英文をメールなどで送ってくるのではなく、電話口で読み上げられます。
母だって高校までは英語の授業を受けていたわけだし、習いに行こうというくらいだから、少しは出来るのだろう、と思っていましたが、蓋を開けてみたら、文法は無茶苦茶、発音も何を言っているのか分かりません。
一文一文、やり取りをしているとあっという間に午前の時間が飛んでいきます。
これには流石に閉口しました。正直、月曜の午前に電話が鳴ると恐怖すら覚えるほど(笑)。

それに加えて、人間は年をとるとわがままになるようで、こちらが良かれと思って、修正をしてあげているのに、「一所懸命に書いたものを全部間違っていると言われると、折角のやる気が無くなっていく!」と文句を言われたことも!

私の英語が合っているとも限らないし、お金を出して習いに行っているのだから、その先生に聞けばいいじゃない!とも思いますが、70歳を過ぎた人が毎週チャレンジをしているのだから、娘としては応援し続けたいと思います。

そんな電話を続けているうちに、3年ほどが経ちました。
相変わらず添削を続けているのですが、最近では母の書いた作文がそれなりに理解可能な体裁になってきました。
続けるということは、やはり素晴らしいですね。そして、何歳になっても新しいことを始められるんだ、という勇気を母からもらいました。

先日は初めてスポーツクラブのエアロビ教室に行って来た、という母。「振り付けが全然覚えられないの!もう、めちゃくちゃで、自分でも可笑しくて笑えそうなんだけど、知らない人ばかりだし、別に恥かいてもいいかと思って」と電話口で明るく話す母に脱帽です。


Profile

Search

Recommend

Mobile

qrcode

Link

Archive

PR

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM